【立ち読み版】渋沢栄一の深谷
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18 渋沢栄一の生まれた血洗島の鎮守・諏す訪わ神社には、「ささら」と呼ばれる獅子舞の祭りが伝わっています。栄一は多忙な中でも年の初めには祭りの日のスケジュールを空けて帰郷し、村人とともに獅子舞を見ることをことのほか楽しみにしていました。 獅子舞は諏訪神社の社前にて舞われた後、集落内の旧家である吉岡家、笠原家、福島家、渋沢家の四つの氏神を巡ります。栄一は生家である「中の家」のしきたりで、一二歳のときに初めて雄お獅じ子しを演じ、その後八~九年間務めてその技を上達させたといいます。 故郷を思う栄一は本殿の修繕に協力した他に、一九一六年(大正五)九月、喜寿を機に拝殿を寄進奉納しました。そして、同年一〇月一日、題字を徳川慶よし喜のぶの子・慶よし久ひさの筆による「渋沢青淵翁喜寿碑」が氏子により境内に建立されました。 拝殿前には栄一の長女・穂ほ積づみ歌うた子こが皇室よりいただいた実から育てた「右近の橘」があり、鳥居には栄一の揮毫による「諏訪神社」の扁額を見ることができます。現在、一〇月中旬に催されるささら獅子舞の祭りには、神社参道入り口に栄一の書による幟旗が揚げられます。●栄一も演じた「ささら獅子舞」血洗島の鎮守・諏訪神社❹

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