【立ち読み版】渋沢栄一の深谷
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22 渋沢栄一の従兄・尾高惇忠(幼名・新五郎)は、一八三〇年(天保元)、下しも手て計ばか村(現深谷市)に生まれ、「藍らん香こう」と号しました。家は名主を務め、農業の他米穀、塩、菜種油、藍玉を商っていました。惇忠は学問に優れ、一七歳の頃から自宅で塾を開く一方、剣術を大おお川かわ平へい兵べ衛えについて腕を磨きました。栄一は七歳になると十歳年上の惇忠の塾に通い、『論語』をはじめ多くの漢籍や書物を読み、一八歳のとき惇忠の妹・千代と結婚しました。●藍香ありて 青淵あり 一八六三年(文久三)、惇忠を中心に尊王攘夷を果たすべく高崎城乗っ取り、横浜居留地焼討ちを企てた栄一らは、京から帰った惇忠の弟・長ちょう七しち郎ろうと尾高家二階の部屋で激論を交わし、中止を判断しました。惇忠は幕末には幕府を支える考えになり、戊辰戦争では彰しょう義ぎ隊たい創建時の面影を残す尾高惇忠生家雛人形を飾った1階の部屋❺

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