23Ⅰ 生まれ育った風景から分かれた振しん武ぶ軍ぐんに加わって飯はん能のうにて新政府軍と戦い、末弟の平九郎を失いました。栄一は後年、惇忠への敬慕を込めて、「藍香ありて 青淵あり」と述べています。 維新後、惇忠は栄一の求めに応じて富岡製糸場の建設にあたり、初代場長を務め、娘のゆうは伝習工女第一号として入場しました。母屋と煉瓦造りの蔵などが残る尾高惇忠生家2階の部屋で激論を交わした尾高惇忠(渋沢史料館所蔵)
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